小児科医である。他人のおうちの子どもたちを診て、お金を稼いでいる。
子どもたちは可愛い。可愛いからこそこの道を選んだ。
でも1番可愛いのはやっぱり自分の家の子どもである。自分の子なので適当に放っておくこともあるけど。
子を預けて何をしているのだろう?
診察室や病室で、この子が心配なんですと親御さんに色々質問される。仕事として答える。具合が悪いからではあるが、その子の前には親御さんがいる。
うちの子は自分が仕事の間保育園に預かられている。勿論保育園で色んなことを覚えてくるし、自宅保育と比べてメリットもデメリットもあるけど、日中7-8時間は親と離れている。
家に帰れば親はへとへとで、ご飯を作ってお風呂に入れて、一緒に遊ぶのもそこそこに寝てしまう、の繰り返しである。自宅で喋り相手もなしに、やんちゃな宇宙人の相手をしているのは性に合わないので、仕事をしているのはある意味自分のためなのだが、ふとした時に「他人のおうちの子どもたちをせっせと診ているのに、自分は我が子を保育園に預けて、何をしているのだろう?」と虚無感に苛まれる。
友人の育児相談に乗るけど
年も年なので過去の同級生たちも次々結婚して、子どもが産まれたという報告が増えた。小児科医だし子どももいるので、育児の細かいことで相談されることも多い。
ずぼら母なので大抵のことは「心配しすぎ、ハイ大丈夫」と背中を押してあげるのだが、ふと友人たちは産休育休をしっかり取って、子どもとの時間を大事にしているのだよな、と思わされる。
対して自分は専門医プログラムのせいで育休もそこそこだったし、子どもは保育園で勝手に育っていて、異動してきた先では週1以上のペースで当直をこなしている。夫にもちょっと引かれているし、当直ペースのせいで育児を大分押しつけていて申し訳無い。
誰かの犠牲で成り立っているのが医療
子どもは気付けば色んなことができるお年頃になってきた。自分が当直で不在の間に、あれができたこれができたというのも多い。我が子の発達のマイルストーンも見られないのは小児科医なのか? 他人の子どもを診ていて、自分の子どもに寂しい思いをさせていないか? 構ってやれないくらい疲れていないか?
夫には本当か怪しまれるけれど、本心で言えば、働きたくない。
でも臨床で頑張るのは今しかないかなと思うし、人手の問題もあって、せっせと働いている。
前の病院と違ってそんなに呼ばれない当直をこなしながら、そんなに呼ばれるわけでもないからこそ、子どもを「放っておいて」夫に押しつけているのが虚しくなってくる。
時間外に患者の診療で呼ばれる度に、医療は誰かの犠牲で成り立っているのだと痛感する。当直代も、オンコール代も、非医療者から見たら高いと思われるかもしれないけど、他人のために自分の時間を犠牲にしていることに対する対価だ。外出する自由を奪って院内待機させることに報酬が出ている。
そして残念なことにうちの子は、ある意味では、そんな母の労働の、犠牲になっている側の人間である。
おしまい
当直の最中、あんまり呼ばれないし、ひとりでいるからこそ物思いに耽ることがある。そんな世迷い言をつらつらと書き散らして、おしまい。
ここに教科書を貼ると虚しくなるので、今度子どもに買ってあげたいおもちゃでも貼っておく。知育玩具はよいぞ。